母親は前兆を感じていた |
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記事:2003年3月26日(水) |
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出典: |
http://www.cnn.com/2003/US/03/25/sprj.irq.pow.williams/index.html |
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ジョージア州リシア・スプリングでロナルド・ヤング・ジュニア氏の母親は、何かがおかしいと |
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感じたと語った。 |
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撃墜されたアパッチ攻撃ヘリコプターの搭乗員であるデイヴィッド・ウィリアムズ氏(30歳)とロナルド・ |
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ヤング・ジュニア氏(26歳)の映像がイラクのテレビで放映された。二人とも虐待はされていないようだ |
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った。二人は陸軍第1機甲師団第227航空連隊第1大隊(テキサス州フォートフッド)に所属している。 |
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ロナルド・ヤング・ジュニア氏は3年前に陸軍に入隊した。 |
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ヤング氏の母親であるケイさんは、日曜日の夜に息子に大変なことが起こったのではないかという |
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嫌な予感がしたと語った。「私は母親として、息子の身に何かが起こったような気がしたんです」 |
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ケイさんは撃墜されたアパッチ攻撃ヘリコプターの映像をテレビで見て心配になった。ヘリコプター |
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には息子の部隊の記章であるコウモリの翼が描かれていた。彼らは通常夜間に飛行することから「吸 |
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血鬼」と呼ばれていた。 |
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その後、フォート・マクファーソン基地から彼女の家に陸軍担当官と牧師が訪れ、「私たちは合衆国 |
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政府に代わり、ご子息の行方不明をお伝えするために参りました」と言った。 |
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ケイさんは「私は泣き叫びました。私には分かってたのよ!」と語った。 |
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ヤング氏はテキサスの基地を離れてから一週間後にケイさんにイラクへ赴任することを電話で伝え |
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た。「息子は自分が無事だということと、送ってほしいものを電話で話しました」「息子はMP3プレイヤー |
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と電気ヒゲソリを送ってほしいと言っていました」「私は電話口で泣き始めましたが、息子は「心配しな |
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いでよ。無事に戻ってくるから」と言っていました」とケイさんは語った。 |
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ロナルド・ヤング・ジュニア氏はダグラス郡立高校(ジョージア州ダグラス)を卒業し、ジョージア州立 |
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工科大学(ジョージア州マリエッタ)で機械工学を研究した。 |
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ヤング氏は2001年9月11日のニューヨークでのテロから間もなくアフガニスタンへの赴任命令を受け、 |
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テロの首謀者をかくまっていると思われるアフガニスタンとの戦争に参加する予定だったが、命令は |
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直前に取り消された。そのため、今回のイラク戦争が彼にとって初めての戦争となる。 |
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ヤング氏の家族は、彼が無事に帰ってこない可能性について遠慮することなく話し合った。 |
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母親のケイさんは「息子は自分の命を国にささげるよう求められたら、喜んでそうすると言っていまし |
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た。そういう状況になったのだから、息子はとても喜んでいると思います」と語った。 |
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父親のロナルド・ヤング・シニア氏は、息子はパイロットになるという夢を果たし、人生を全うしたのだ |
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と語った。 |
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●関連情報 |
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ジョージア州ダグラス郡 |
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ジョージア州立南工科大学 |
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アトランタ・ジャパン |
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映画「風と共に去りぬ」 |
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