戦闘ではなく料理をするつもりだった |
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記事:2003年3月26日(水) |
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出典: |
http://www.cnn.com/2003/US/03/25/sprj.irq.pow.johnson/index.html |
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彼女が上手に使いこなしたかったのはライフルではなく泡立て器だった。 |
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1998年に陸軍に入隊したとき、彼女の任務は兵士ではなく料理人になることだった。 |
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彼女が陸軍第507中隊(テキサス州フォートブリス)で炊事係をするのは料理の腕を上げるためだっ |
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た。しかし、それはブッシュ大統領がイラクを「悪の枢軸」と名指しし、2月に彼女に対してペルシア湾 |
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沿岸地域に赴任命令が出る以前のことだった。 |
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23日(日)に彼女は所属する中隊がイラク軍の待ち伏せ攻撃を受け、5人の捕虜の一人となった。 |
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妹の一人でヴァージニア州で陸軍大尉を務めるニッキ・ジョンソンさんは、「姉にこんなことが起こる |
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なんて考えもしなかった」という。 |
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父親のクロード・ジョンソンさんは長女の不幸をショシャーナさんの娘である孫のジェネレーちゃん |
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(2歳)のためにアニメ番組を探そうとチャンネルをあれこれ切り替えているときに捕虜の映像が放送さ |
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れているのを見て知った。その後、陸軍から確認のために中隊の本拠地のフォートブリスに来るよう |
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クロードさんと妻のユーニスさんに呼び出しがあった。 |
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妹のニッキさんによると、ショシャーナさんは父親が陸軍の退役軍人であり、アンドレス高校時代に |
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予備将校訓練隊に入ってはいたが、軍に入ることは考えていなかったという。親族によると、ショシャー |
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ナさんは高校時代、社交的で人気があり、困難な状況を脱する力があったという。 |
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妹のニッキさんは「姉はいつも周囲に優しく朗らかに振る舞い、心の狭い態度を取らないようにして |
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いた」という。 |
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湾岸戦争(1991年)にも従軍したベテランである父親のクロードさんは中立的で適切な団体がすぐに |
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娘に会ってくれることを望んでいる。 |
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「赤十字に急いで捕虜に会って健康状態などを確認するよう要請する必要がある。もし手遅れになれ |
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ば、今度会うときに捕虜たちがどうなっているか分からない」 |
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妹のニッキさんはショシャーナさんは十分に訓練されており、彼女の快活な性格を信じているという。 |
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彼女からの助言と祈り: |
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「気をしっかりと持って自分を見失わないで。イラク軍から危害を加えられないように振舞って」 |
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「姉の優しく朗らかな心が今も彼女と共にありますように」 |
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●関連記事 |
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「あの娘は炊事兵なのに…米女性捕虜の叔母 衝撃」 |
(平成15年3月27日付読売新聞) |
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