捕虜となった息子の母からのメッセージ |
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記事:2003年3月26日(水) |
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出典: |
http://www.cnn.com/2003/US/03/25/sprj.irq.pow.hudson/index.html |
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母親のアネティカ・ハドソンさんは息子がイラクで捕虜となったという一報を聞いたとき、 |
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コーヒーを沸かしていたところだった。 |
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友人からテレビをつけるように電話がかかってきたためテレビを見てみると、捕虜の映像を放送して |
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いたところだった。彼女が「何で息子がテレビに出てるの?」と聞くと、友人は金切り声で「テレビを見て |
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たらあなたの息子さんが映っていて、イラク側から尋問を受けていたのよ」と言った。 |
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その日は彼が所属する陸軍第507補給中隊(テキサス州フォートブリス)が待ち伏せ攻撃を受けた |
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日であり、彼も捕虜の一人となっていたのだった。彼女はその映像を見たとき嘆き悲しんだ。 |
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その日は彼の妻であるナタリー・ハドソンさんも同様に夫が捕虜となったことを知らされた。夫が任 |
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務に発ってからほぼちょうど1ヶ月後のことだった。二人はアラモゴード高校2年のときから交際を始め、 |
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現在結婚から3年、5歳になる娘(キャメロンちゃん)がいる。 |
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今年24歳になるハドソン氏は軍人一家に育ち、1998年にアラモゴード高校(父親も同校出身)を卒業 |
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した。彼の父親は空軍の退役軍人だったが、1991年にバイク事故で他界した。父親の死後、母親とハ |
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ドソン氏は父親が空軍に入ってからずっと住んできた場所であるアラモゴードに戻った。 |
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現在、母親のアネティカさんはメディアからひっきりなしに続く取材に対応している。 |
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「私は従軍している子供を持つすべての親御さんに対して、私たちがすべきことは子供たちが生きて |
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帰るのを願い祈ることだけだと伝えたいと思います」 |
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「私が自分の息子を愛するように、親御さんが子供さんを愛していることを知っています」 |
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